「漫画の神様」と呼ばれる故・手塚治虫氏は60歳で亡くなる瞬間まで、「頼むから仕事をさせてくれ」と周囲に話していたそうですが、全盛期には月に数日しか眠らないこともしばしば、1日4時間以上眠ることはほとんどなかったと言われています。
60歳で亡くなる5年前に急性肝炎と胆石で入院した際に、編集者にポツリと「入院したら読者から忘れられてしまわないかね」と漏らしたそうですが、「世間から忘れられたくない」という執着心が彼を死ぬまで膨大な創作活動に駆り立てたとも言えるかもしれません。
手塚氏だけでなく、かつて存在した多くの芸術家、政治家が世間に忘れられたくないがため、記念碑を建て、絵を描き、彫刻を掘り、小説を書き続けてきました。人類の大部分の歴史において、ある人間が生きた証、行った功績は物理的に記録するしかなく、それらは時間とともに風化するのが当然でした。
↑「世間から忘れられたくない」と頑張り続けるアーティストも多い
しかし、ネットによってすべての記録がデジタル化され、それらは一旦サーバーに記録されれば、それは本人が望むか望まないかにかかわりなく、半永久的に保存され続けることになります。かつてのようにそれらは時間とともに風化され、忘れ去られることもありません。
例えば、アメリカのある女性は交際していた男性と撮った写真や動画が、その男性と別れて数年後、ポルノサイトなどに掲載されているのを知ります。そこには、自分の実名と住所や職場などの個人情報も書き込まれ、そのサイト数は200以上にも上っていたと言います。
女性はそれらの情報を削除したいと考えましたが、すべてに対処するには何十万ドルもの弁護士費用と途方もない労力がかかることを知り、最終的には名前を変えて、別人として生きることを余儀なくされました。(1)
↑望まない情報も半永久的にウェブ上に保存されてしまう
本来なら過去の記憶として徐々に忘れられてしかるべき事が、テクノロジーによってデジタル化された結果、自分でもコントロールできないという悲劇が世界各地で起きています。
こうした状況に基づき、2012年1月、EU行政機関である欧州委員会は「忘れられる権利」という文言に言及し、ネット上から個人の情報を削除する権利を認めるべきかが議論されるようになり始めました。
その後、2014年にはEU司法裁判所は、「16年前に社会保険料を滞納し、不動産が競売にかけられた事実がネット上に残り続け、検索し、そのデータにリンクできるため不利益を被っている」というスペイン人男性の訴えを受け入れ、グーグルに検索結果の削除を命じました。(2)
↑16年経ってもネット上で自分の過去の情報が削除されない
一般的な感覚からすればこの判決は当然のように思われますが、社会理論家のジョナサン・ジットレイン教授は、「検閲の一形態であって、合衆国で同様のことが行われれば、違憲となるだろう」と述べ、アメリカでは憲法上保障されている表現の自由が個人のプライバシー権よりも優先されるべきとの見解を示しました。(3)
「アメリカ人は有名になりたがるが、フランス人は忘れられたがる」というジョークが示す通り、表現の自由とプライバシー権のどちらを重視するかは、国民性や文化的な背景が大きく関係していますが、ネット上における情報は国境にかかわりなく拡散するため、世界各国が「忘れられる権利」をどのようにみなすか、統一的な見解を見出すことは非常に困難です。
↑「忘れる」、「忘れられる」の概念は文化によって大きく違う
この点、ジェド・ルーベンフェルド教授は、プライバシー権と表現の自由を「時間の支配」という観点で調和させようとします。彼によると、表現の自由は、各人の自我の表明であり、それは各人がどんな過去を過ごしてきたかと密接に関連しているとします。
そして、その「過去」がどういう時間かは検索サイトではなく、自分自身の解釈に委ねられるべきなのに、ネット上にある情報がずっと残り続ければ、結果的に表現の自由が侵害されるというのです。(4)
つまり、もし過去の自身に関するネガティブな情報が残り続ければ、それに基づきネットの他のユーザーからレッテルを貼られ、自由な自己表現が難しくなってしまいます。
↑「過去」は自分に属するべきであり、検索サイトにその解釈を委ねるべきではない
ティーンズに圧倒的な人気を誇るSNSツール、Snapchatはインターネット上に「過去」が残らないように、1秒から10秒の間に送った動画や写真が自動的に消滅するように設定することができます。このアプリを使えば、自己を表現したいという欲求と、いずれは「忘れて欲しい」という願いを同時に満たすことが可能です。
2016年6月には、全世界におけるSnapchatの1日のアクティブユーザー数が1億5,000万人に達し、Twitterの1億3,600万人を抜きましたが、ツイートを繰り返し、自分の情報が世界中に繋がり、ネット上に残り続けるTwitterよりも、自分の好きな写真で自己表現をして、すぐに過去のものとして忘れられるSnapchatをネットユーザーが選び始めていることは確かです。
↑Snapchatなら自分を表現し、それをすぐに過去のものとできる
Snapchatは「エフェメラル系」(Efhemeral、「つかの間」「一瞬」「はかない」の意味)SNSと呼ばれていますが、マーケティングのトレンドとして、一度見たら消える、ストーリー性のあるビデオをコンテンツの合間に挿入するコカコーラやサムスンのような企業も増え始めています。
普通のCMと異なり、限られた時間でしかそれらを見ることができないので、ユーザーはそれを後回しにすることができず、一体何が見られるのか強い期待を持って、集中して見ることになるのです。
↑仮に企業のプロモーションでも「限られた時間」でしか見られないのなら、今すぐ見る
例えば、デンマークでは、12歳から29歳の48%が毎日Snapchatを使用していますが、保険会社のアルカ(Alka)は3ヶ月に渡り毎週30秒のショートストーリーの動画を作成、内容はすべてバイクやパソコン、ハンドバッグを無くしたというもので、Snapchatのコンテンツのように戻ってこないと困るから、保険が必要、という筋書きでした。
動画作成を担当した広告代理店のマネージャー、ウーリック・ヌーア氏は、ユーザーの邪魔をせず、押し付けがましくない、自然な方法でリーチする方法を模索していたと言います。
↑若者に訴求するためには押し付けがましくない方法が必要
わたしたち日本人もそもそも移ろいゆく、はかないものを美しいと思う価値観を持っていますが、本人が忘れたくても、忘れさせない今のネット社会は、決して居心地が良い状態とは言えません。
Googleは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」を使命としていますが、本人が忘れたい情報まで整理し、リンクによって結びつけてしまうのは「ありがた迷惑」と言わざるを得ないでしょう。
世界中の情報が繋がった今、人々は「繋がる」ことよりも「放って置かれる」こと、情報が「保存される」ことよりも、「忘れられる」ことを願っており、ネット社会がそうした人々のニーズを満たせるようになるには、「忘れられる権利」の法整備も含めて、もう少し時間がかかるのかもしれません。
(1)神田知宏「ネット検索が怖い」(ポプラ社、2015年)p.34
(2)神田知宏「ネット検索が怖い」(ポプラ社、2015年)p.40
(3)奥田喜道「ネット社会と忘れられる権利-個人データ削除の裁判例とその法理」p.3
(4)奥田喜道「ネット社会と忘れられる権利-個人データ削除の裁判例とその法理」p.14
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