2016年7月、イギリスでは史上二人目の女性首相(テリーザ・メイ)が誕生しました。言うまでもなく、同国史上初の女性首相は故・マーガレット・サッチャー氏で、2013年にサッチャー氏が亡くなった際、英国王立統計学会・米国統計学会は、同氏が打ち出した2つの政策を高く評価したと言います。
一つはHIV対策であり、もう一つは地球温暖化対策で、今でこそ、どちらも世界各国に共通した誰もが認識している問題ですが、1980年代当時のイギリスではどちらもその重要性について認知されておらず、十分な知識もない時代でした。保守派という自身の立場を横において、客観的かつ科学的な根拠に基づいて打ち出したサッチャー氏の前例のない政策は、イギリスのみならず、世界を大きく変えたと言われています。
↑サッチャー氏の合理主義がHIVや地球温暖化対策への意識を広めた
企業に関して言えば、成功する戦略を考えるマーケティングの分野において、多くのマーケターは、客観的なデータやリサーチを総合的に見て判断するより、最終的に個人の経験や勘を重視しがちです。しかしながら、個人の経験に頼るやり方で確実にビジネスを成功させることはとても難しく、企業が窮地に立たされているほど、数字をもとに戦略を導き出すことが求められるようです。
例えば、2015年に日産で初の女性専務執行役員となった星野朝子氏は、市場情報室の室長となって間もない頃、企画部が立ち上げたプロジェクトの売上目標は達成不可能であることを数値をもとに示したものの、開発プロジェクトのメンバーはそれに耳を傾けることなく、新参者である星野氏が示した数値予測に基づいて、開発を軌道修正させることはありませんでした。
当時の日産は再建の危機にあり、商品企画部からは「俺たちを殺す気か!」と言われるほど星野氏の導き出した数字への信頼はまるでなかったそうですが、CEOのカルロス・ゴーン氏は、市場情報室の数字のほうが「Best Guess」(最もよい推測)だと尊重し、その後2004年に開発された6種の車種において、売上予測モデルが全て的中したことをきっかけに、誰もが数字を基にしたマーケティングの確実性を認めることになりました。
↑カルロス・ゴーン「市場情報室の数字のほうが”Best Guess”」
こうした「経験や勘」に頼るのではなく、データに基づいて数値化するマーケティング手法を「マーケティング・サイエンス」と言いますが、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)もその手法によって、回復を遂げた企業の一つです。
USJは2001年の開園1年目は1,103万人の入場者数を集めるなど、ディズニーランドとは異なる、映画をテーマにした大人向けのテーマパークとして人気を博したものの、次の年に賞味期限切れの食品がパーク内で販売されるなどの不祥事が発覚、その後の数年に渡り、低迷が続き、開業10周年であった2011年も東日本大震災などで客足が遠のく状態でした。
↑ブームが過ぎ、低迷が続いていたUSJ
その低迷状態を脱すべく打ち出した方向転換の一つが「大人向け映画専門のテーマパーク」というコンセプトから、「世界最高のエンターテイメント品質、家族連れでも楽しめるテーマパーク」への転換でした。一見すると、その方向転換は映画から離れるため、ディズニーランドとの差別化が図れずに失敗するのではと思われますし、現に社内でもそうした反対意見が根強かったそうですが、当時USJのマーケティングを担当した森岡毅氏に迷いはなかったと言います。
同氏は市場構造の核心は消費者のプレファレンス、つまりブランドに対する好意度・好みであり、自社ブランドが選ばれる「確率」を高めるためには、USJを映画やアニメという形式でくくるより、世界最高のエンターテイメント品質でくくるべきだと考えていました。
↑選んでもらう「確率」を上げるために、世界最高のエンターテイメント品質を作り出す
それまではUSJは、「ハリウッド映画」というジャンルにこだわり続けていましたが、同氏がマーケティングを手がけた後、2011年には日本のアニメ「ワンピース」のショーを実施したり、またゲーム会社カプコンと協力し、ゲームの「モンスターハンター」に登場するモンスターを等身大で展示したりしました。
2013年にも人気ゲーム「バイオハザート」の世界をリアルに体験できるアトラクションをスタートさせるなどして、「エンターテイメント」という枠で市場において、よりUSJというブランドが選ばれる確率を徹底して高め、結果として多くのプレファレンスを得ることに成功したのです。
それは単なる主観や勘に基づいて考えだされたものではなく、数式によって徹底的に裏付けられた戦略でした。同氏は自らのマーケティング手法について次のように述べます。
「私はマーケティングをアートからできるだけサイエンスに近づけたいと考えています。『主観』は最終手段として大切にしつつも、できるだけ『客観』によって主観のランダム性をコントロールしたいのです。」(1)
↑マーケティングを可能な限り科学に近づける
こうした消費者のブランドに対するプレファレンスを高め、選ばれる確率を出来るだけ高めていく「確率思考の戦略」によって、2015年10月には、USJの月間入場者数が175万人と過去最高の集客数を記録、その月の東京ディズニーランドの推定入場者数160万人を超えました。これは、ライバルの東京ディズニーランドがUSJのある関西圏よりも3倍大きい人口圏である関東にあり、何と言っても「ディズニー」というブランドを冠した相手であることを考えると、驚異的な勝利といえるでしょう。
こうした感情に左右されることなく、客観的なデータに裏付けられた合理的な思考はマーケターのみならず、誰もが応用できる手法ですが、もっとも大きな問題は人間は合理的であることが頭で分かっていても、それを実践することがなかなかできないということです。組織であっても、個人であっても、合理的な思考を実践するためには、それを後押しするだけの「熱い心」が必要になります。
↑合理的に考えながらも、それを動かすだけの「熱い心」が必要になってくる
多摩大学大学院教授の田坂広志氏は、宇宙空間で事故に見舞われたアポロ13号の乗組員帰還を地上で指揮したジーン・クランツに関して、彼が優れた戦略や戦術、技術を持っていただけではなく、人間力や志を持つ点でも優れていたと言います。
確かに彼はアポロ13号が帰還するための電力を確保するため、地上のシミュレーターを使って徹底的なシミレーションをし、いかに電力消費を最小化するか、数値に基づく手段をとりましたが、絶望的な状況で悲観的な雰囲気が漂う管制センターのスタッフに対して、「これはNASAの歴史で、最も栄光ある瞬間だ」と述べて、周りを励まし続けたのです。
USJを再建へと導いたマーケター、森岡氏も「数字には熱を込めるように」と述べ、次のように強調します。
「左手には数字に裏打ちされた氷のような冷徹さを、右手には枯れることのない執念を燃やしたマグマのような情熱を、それぞれ両手に備えて、ようやく困難なゴールにたどり着く、私はそう考えています。」(2)
↑冷徹な準備と情熱でゴールまで何とかたどり着ける
冒頭で述べた故・マーガレット・サッチャー氏がその徹底的な合理的な政策手腕から、「鉄の女」と言われていたことはよく知られていますが、本来は非常に感情が豊かで人間味溢れる女性だったと言われています。
私たちはともすると、数値に基づく確率思考で温かみがない無慈悲な決定をするか、データをなおざりにした人情や感覚に頼る思考パターンか、いずれかの極端な選択に陥りがちなのではないでしょうか。
しかし、ビジネスにおいても、日常のささやかな決定においても、成功を勝ち得るためには、客観的なデータによって組み立てられたマシーンを熱い心というエンジンで動かし続けることが必要なのです。それはアメリカの合理性のみを追求するマーケティングが、日本社会には適さないことが明らかになった現在、各企業とわたしたち一人ひとりにつきつけられた選択である、といえるのではないでしょうか。
(1)森岡毅、今西聖貴『確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力』(角川書店、2016年)Kindle版、1043
(2)森岡毅、今西聖貴『確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力』(角川書店、2016年)Kindle版、1933
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