「オーガニック」にしろ「ロハス」(健康で持続可能な生活スタイルという意味)にしろ、自然とのふれあいをすぐにスタイルやファッションにしてしまうのは現代人の悪い癖で、国立青少年教育振興機構の調査によると、2013年より日本の小中学生の自然との触れ合いは増えているということですが、これは付け焼刃的な「自然体験プログラム」によるものであり、古来より大切にしてきた自然との暮らしはどんどん少なくなってしまっているのが現状です。
かつての日本では「八百万」の神の例を引き合いに出すまでもなく、自然は畏敬すべきもの、学びの対象であり、「農と自然の研究所」の宇根豊氏も次のように述べています。
「百姓は稲を作るのではない、田をつくるだけ、あとは天地の恵みで稲ができる。」(1)
↑“自然”と自然に触れ合う時間が時代が進むにつれ、どんどん少なくなっている
ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどに寄稿し、自然の復興に関して様々な提言を行っているリチャード・ルーブ氏は、こうした自然という対象を失った現代人の状態を、「自然欠乏症候群」と呼び、自然から遠ざかった現代人の子供たちには精神的な不安定、なんとなく「すぐれない」体調不良が生まれることを指摘していますが、日本人口のうち過去1年間に1,000万人以上が何らかの精神疾患にかかり、そのうちうつ病は380万人いると言われる現状とも密接に関係しているのかもしれません。
それは「医学の父」と呼ばれる古代ギリシャのヒポクラテスの「人間は自然から遠ざかるほど、病気に近づく」という言葉とも調和します。(2)
医師の山本竜隆氏は「自然欠乏症候群」とは、単に都市に住んでいるため、近くに川や山がないということだけではなく、化学合成物質に囲まれていたり、無意識のうちにそれを体内に取り込んでいたり、地球のリズムを無視した生活を送っていることも含むと解説しますが、それは人間が自然を完全に操作し、征服できると信じた近代合理主義の成れの果てとも言えるのかもしれません。(3)
↑自然から離れれば離れるほど、人間の精神は安定さを欠いていく。
1960年代にイギリスの未来学者、ジェームズ・ラブロック氏は、地球そのものが地球上の動植物相互と関係し合い、バランスを保とうとしている、あたかもひとつの「生命体」のようであるという「ガイア理論」を提唱しました。
しかし、現代人が自然欠乏症候群に陥っているのとシンクロして、2012年にWWF(世界自然保護基金)が発表したレポートによると、全世界の生物種の個体群データをもとに算出した世界の生物多様性を示す「生きている地球指数」は、1970年と比較して28%低下、2030年には地球人口の消費を満足させるためには、地球2個分の資源量が必要になると予測され、地球という「生命体」もまさに危機に陥っています。
↑2030年には人類を満足させるために、地球をもう一個丸々破壊しなければならない
こうした人間個体、地球全体の危機的状況に面して、東北大学大学院環境科学研究科の石田秀輝氏は「自然が持っている倫理観」から地球を破壊しないテクノロジーを学ぶ必要があるとしています。
確かに共食いするカマキリの例からも分かるように、自然は個体としては自己の生存のために他を犠牲にするように見えますが、自然界「全体」としては利他的であり、完全な循環を保っているのに対して、人間社会は、全体が自分たちの欲望ばかり利己的に追求しており、テクノロジーを使って自然界の資源や生物をひたすら消耗し続けているのが現状です。
同氏は同じように人類も「機能だけを追求するテクノロジー」から「エコ・テクノロジー」への転換から始め、次なる段階としてエコ・テクノロジーをも捨て、最終的には互いを損ない合わない、最小限のエネルギーで完璧な循環を作り上げる自然の凄さを賢く活かした「ネイチャー・テクノロジー」へと、段階的に進化を繰り返していく必要があると言います。(4)
↑最小限のエネルギーで完璧な循環を作り上げる「ネイチャー・テクノロジー」
実際ここ数年、「自然の凄さを賢く活かすテクノロジー」の一つとして、生体のもつ優れた機能や形状を模倣し、工学・医療分野に応用する「生物模倣技術」が注目されています。
そのテクノロジーは多岐に渡りますが、例えば、日産は魚の群れが仲間の魚にぶつかったり、バラバラになったりしないのか、その理由を解明することによって、自動運転車同士の衝突を防ぐための安全技術を開発し、魚群のルールで集団走行するロボットカー「エポロ」を発表しました。
千葉工業大学未来ロボット技術研究センターの古田貴之所長らは、「ハルゲニア」というすでに滅びた甲殻類を研究することによって、八つの脚をもった次世代自動車を開発、それぞれの脚は段差を乗り越えたり、横に移動したりすることができるため、過密になった都市スペースを有効活用し、レスキューや福祉などを目的とした特殊車両に応用できることが期待されています。(5)
↑最新のテクノロジーなんかよりも、自然から応用する知識の方がよっぽど優れている
遺伝子研究においても、人間は他の生物よりも複雑で多くの遺伝子情報を持っていると研究者たちは思い込んでいました。
しかし、DNAのすべての遺伝子情報であるゲノムが解明され、蓋を開けてみると、人間の遺伝子は魚やマウスとほぼ同じ2万2,000個に過ぎず、さらに言えば、イネ科の植物の遺伝子と比べると1万ほど少ない上に、ゲノム配列に関して言えば40%までが人間と共通しており、人間も根本的には他の生物と大して変わらないのかもしれません。
このように考えると、人間が自然より優れており、自然を征服する権利があると考えるのはとんでもない奢りであり、自然欠乏症や、地球環境問題は、わたしたちにこうした自然の凄さを謙虚に受け入れ、そこから学ぶように地球が警告している合図なのでしょう。(6)
↑人間が他の生物より優れているというのは真っ赤なウソ
古来の日本人が抱いてきた、自然から学び、それを畏敬の対象とする発想は、世界的なリーダーたちも取り入れており、世界中を飛び回る経営コンサルタント大前研一氏は、ビジネス書は一切読まず「古典、生物、化学」から学んでいると言いますし、稲盛和夫氏も生物からインスピレーションを得て、組織をアメーバと呼ぶ小集団に分け、その小集団ごとに管理、目標を達成する全員参加経営の手法、「アメーバ経営」を京セラ時代においてを生み出しました。(7)
テクノロジーにしろ、生き方にしろ、わたしたちが自然の一部であることを謙虚に認める時、自然界はその驚くほど豊かな知恵から、行き詰った状態を打開するためのインスピレーションを与えます。
生物から学ぶことは、教科書上の知識ではなく、実生活やビジネスに直結する、むしろわたしたちをワクワクさせるような作業なのです。
(1)石田秀輝『自然に学ぶ粋なテクノロジー~なぜカタツムリの殻は汚れないのか』(DOJIN選書、2009年)p133
(2)山本竜隆『自然欠乏症候群~体と心のその「つらさ」、自然不足が原因です』(ワニブックス、2014年)p54
(3)山本竜隆『自然欠乏症候群~体と心のその「つらさ」、自然不足が原因です』(ワニブックス、2014年)p3
(4)石田秀輝『自然に学ぶ粋なテクノロジー~なぜカタツムリの殻は汚れないのか』(DOJIN選書、2009年)p48、53
(5)赤池学『生物に学ぶイノベーション~進化38億年の超技術』(NHK出版新書、2014年)Kindle版847-917
(6)村上和雄『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』(ソフトバンククリエイティブカンパニー、2014年)p42-43
(7)藤井孝一『読書は「アウトプット」が99%』(三笠書房、2014年)Kindle版、 1267
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