古代エジプトの像やピラミッド建設者たちの墓の発掘など、さまざまな功績をあげ、エジプト考古学の権威とされているザヒ・ハワス博士は、発掘品の保護や保存を行う「エジプト考古局」で、仲間だったはずの複数の人物に発掘品を盗んだというあらぬ疑いをかけられ、
その噂が拡散したことで、2011年、考古局の局長を辞任するという事態が発生しました。
この時、2011年1月から大規模な反政府デモが起きていたため、エジプト国内は非常に不安定な状態であり、当然、国は貴重な発掘品を守る余裕がなく、警備も機能しておらず、国内外の人々によって貴重な発掘品が盗まれていたのです。しかし、ハワス博士が盗んだという噂が大きくなり過ぎていたために、真実を追及することができず、もはや“追放”に似た形で辞任に至りました。
今まで計り知れないほどの労力をエジプト学の解明に費やしてきたハワス博士に対し、周囲の人たちが尊敬の念を持ち、そして手を取り合ってさえいれば、貴重な発掘品を守ることはできたはずで、また協力してエジプト考古学の研究に取り組んでいたなら、新たな発見もあったことでしょう。
↑ハワス博士と周囲の人たちが手を取り合っていれば発掘品を守ることはできた
対立する相手がいれば、人は相手に負けないように努力をしますから、ライバルの存在が大きな力になることも事実です。それでも、ハワス博士の事件のように対立だけで終わってしまっては失うものも多く、相手の能力を認め、敬うことで、より一層大きな力が生まれるのではないでしょうか。
この点で言えば、エジプト学解明のために重要な遺品とされている碑石「ロゼッタ・ストーン」に刻まれた謎の文字「ヒエログリフ」は、2人の人物が互いに対立し合うことがありながらも、尊敬の念を持ち合っていたことで解明され、今日も多くの人々に夢やロマンを与え続けています。
↑対立する2人の人物の尊敬の心がロゼッタ・ストーン解読に導いた
ロゼッタ・ストーンは、ロンドンの大英博物館でもっとも人気の展示物となっていて、現代では、この石板に古代エジプトの法令が記されていることが明らかになっているのも、古代エジプト語の神聖文字「ヒエログリフ」、それを少し崩した形の民衆文字「デモティク」、そして「ギリシア文字」の3つの文字を、イギリスのトーマス・ヤングとフランスのシャンポリオンという対立関係にあった2人の人物が解読したためです。
18世紀末、両国は戦争中であり、フランスが発見・所有していたロゼッタ・ストーンは、フランスがイギリスに停戦を申し入れたことで、所有するすべての古代遺物をイギリスにゆだねる協定を締結し、イギリスに“没収”されたロゼッタ・ストーンは、解読の先駆者であるトーマス・ヤングと出会うことになったのです。
↑古代エジプトの法令が記されたロゼッタ・ストーンは、最も人気の展示物
トーマス・ヤングは最先端のすべての学問に興味を持ち、研究に没頭してしまうような人物でしたから、当然のように古代エジプトとロゼッタ・ストーンに関心を持ち、1814年、ロゼッタ・ストーンの中段に刻まれた民衆文字「デモティク」の解読に取り組むことになります。
ズバ抜けた頭脳の持ち主だったヤングは、研究を始めてすぐにデモティクがヒエログリフから派生した文字であることや、デモティク部分とギリシア部分にそれぞれ同じ単語が記載されていることを明らかにし、5年後の1819年、「ブリタニカ百科事典」に解読した218のデモティクと200のヒエログリフを掲載しました。
フランスのエジプト学者は「この発見はまさしく、エジプト学にとっての“光あれ”の瞬間」と称賛していることからも、かなりの大発見であったことがうかがえますが、それ以降、ロゼッタ・ストーンに対するヤングの情熱が続くことはなく、ヤングの研究のバトンは、後にライバルとなるフランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンにひっそりと受け継がれていくことになったのです。(1)
↑ヤングの研究はライバルのシャンポリオンへ引き継がれていく
「古代エジプト学の父」と呼ばれるフランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンは、ヤングをライバル視しつつも、彼が行ってきた研究には敬意を払い、さらに研究を進め、41年間という短い人生のほとんどをヒエログリフの解読に費やしました。
古代エジプト学のみならず、言語に対しても並々ならぬ関心を持っていたシャンポリオンは、情熱の深さでは、ヤングに勝っていたと言えるでしょう。シャンポリオンが体調を崩した際には、兄へ送った手紙の中でどうしても欲しかった中国語の辞書を「早く病気を治すために中国語の文法書を送ってくださいね」とねだっていたことや、「エジプト文字を解読してファラオ時代の全歴史を再構築する」と宣言したことなどから、彼の情熱の強さがうかがえます。(2)
ヤングの研究を足がかりに、さらに解読を進めたシャンポリオンは、ヤングのようにエジプト学への情熱が冷めるということはなく、1822年、パリで開かれた会合でシャンポリオンがヒエログリフの解読に成功したことが発表され、エジプト学の歴史にシャンポリオンの名が刻まれることとなったのです。
↑ライバルであることが時に、大きな力になる
このように、ロゼッタ・ストーンに刻まれた文字が解明されていったのは、研究に携わったヤングとシャンポリオンの間に「ライバル心」と「尊敬の念」があったためでした。
実際、シャンポリオンは貴重な資料であってもヤングから送って欲しいと依頼をされれば、惜しみなく送付したそうですし、また、ヤングはシャンポリオンについて次のように述べていることからも、お互いに尊敬していたことがうかがえます。(3)
「私はシャンポリオン氏がロゼッタストーンの碑文字の研究に10年の歳月を費やし、最近になってこのエジプト文字の解読で大きな前進を果たしたことを知りました。(中略)シャンポリオン氏の成功にはただ賛辞を贈るだけです。彼は私よりもエジプト語(コプト語)をずっと熟知しているのです。」
↑ライバルであっても相手の努力と能力を素直に認める
国際的にも評価されるような作品を生み出している日本のアニメ映画界にも、「ライバル同士の尊敬」がつねに存在しており、多くのアニメ映画を手がけてきたスタジオジブリの宮崎駿監督と高畑勲監督は仲間でありつつも、お互いライバル視しているそうですが、もともと宮崎監督は高畑監督のもとで作品作りの手ほどきを受けていました。
高畑監督の下でアニメ製作に関する技術を磨いた宮崎監督が自身で映画製作を手掛けるようになると、今度は高畑監督をライバル視するようになり、高畑監督よりも良い作品を生み出そうと映画製作に全力を注ぐようになったのです。
↑師から受け継いだ技術で、師の作品を超える作品を生み出す
スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫氏は、そんな2人の様子をつねに間近で見ており、2人の関係性について次のように述べています。
「あるときは共同事業者で、仲間であり友達で。そして、それぞれが独立して映画を作り始めるとライバルになった。今日に至るまでね、互いが互いの作品を意識しているんですよ。(作品を)見てね、それぞれが何て言ったかを2人とも気にしていますよね。」
宮崎監督が高畑監督から受け継いだものの中には、映画製作の技術だけではなく、情熱もあったのでしょう。だからこそ映画製作に切磋琢磨し、宮崎監督の手から数々の名作が生まれることとなったのです。
↑ライバル心と尊敬の念が存在していたからこそ、日本のアニメ映画は世界からも評価されている
ロゼッタ・ストーンの研究も、お互いをライバル視していながらも研究内容に関しては尊敬し、その結果、ヒエログリフ、デモティク、ギリシア文字の解読に繋がっていきました。
先人が創り上げてきたことを受け継ぎ、尊敬を持ちつつも、先人よりもより良いものを目指そうとライバル心を持ちながら自身の技術や情熱をプラスしていくことで、素晴らしい作品や、時には歴史を塗り替えるような新しい発見が生まれていくのではないでしょうか。
1. ジョン・レイ 「ヒエログリフ解読史」 (2008年、原書房) p.58
2. ジョン・レイ 「ヒエログリフ解読史」 (2008年、原書房) p.74
3. ジョン・レイ 「ヒエログリフ解読史」 (2008年、原書房) p.86
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