「ニート」「メタボリック症候群」「いけ面」という新語が2008年に発売された広辞苑に取り入れられたということで、物の名、人の名、カタカナ語などが日常生活にどんどん新しく入ってくる一方、多くの言葉が使われなくなって廃れていき、言葉が生まれては消えていく中、時代の流れに敏感に対応し、多くの日本人に正確な言葉の意味を提示してくれる一冊が「広辞苑」です。
収録されている言葉の数が20万語あり、その時代に使われていた言葉に加え、活躍した科学者や新しい歌のジャンルの名前なども含まれる広辞苑は単なる辞書というよりは、時代を映し出す「言葉の百科事典」として、これまでに1100万部を売り上げているほど広く活用されていますが、広辞苑以前の「大日本国語辞典」は、収録されている言葉が難解で一般人が手にとりやすいものではない上に収録語数も少なく、あまり普及していませんでした。
↑広辞苑は学者のものであった辞書のイメージを、一般の人が使える百科事典へと変えた
広辞苑を創り上げた中心人物の名字が「新村」であることから、出版社では広辞苑で意味を調べることを「ニイムラに聞け」と合言葉のようにいわれるほど頼りにされているそうで、大元をたどると広辞苑は、言語学者の新村出(にいむらいずる)がイギリスのオックスフォード大学にて、71年の歳月をかけて完成されたオックスフォード英語大辞典(OED)と出会ったところから始まったものです。
OEDの編集には2,000人が参加し、書かれた原稿はおよそ100万枚にものぼったといわれ、総ページ数1万6千ページ、収録語数約41万語と膨大でしたが、それぞれの語の定義は考え抜かれた正確なもので、語源は綿密、用例は豊富かつ適切であり、新村出はOEDから数百年に及ぶ人々の暮らしや息遣い、文化が立ち上ってくるようだと、その質と量に深い感銘を受けました。
↑2,000人が参加し、71年の歳月をかけて完成した文化の集大成
OEDの特徴はとにかく言葉の説明が時代を映し出すほどに具体的であることであり、単語のスペリングの歴史的な変化や語源の細かな記述、豊富な用例を載せるには、どの単語がどの文献でどのようなニュアンスで用いられていたのかということまで徹底的に調べなければならず、少数の専門家だけでは成り立たないため、OEDは昔も今も一般の人からの協力によって支えられています。
最初のOEDを編纂したのは正規の教育をきちんと受けていないアマチュア言語学者ジェームズ・マレー氏で、マレー氏は誰彼問わず、原文から忠実に言葉と用例を集めるボランティアを募ったため、実際に膨大な量の用例を集めていた正体不明の人物が、実は殺人で逮捕されて精神病院に収監されている元将校であったという逸話があります。
今でもOEDは、編集者が言葉の起源が十分に辿れていないと判断した時には、定期的に言語の起源を辿るボランティアをオンラインで集っていて、「ブロマンス」や「FAQ」といった新しいさまざまな言葉の語源もアマチュアの手によって発見されました。
↑一般の小さい知識が少しずつ集まって、巨大なものを作り上げる
広辞苑のプロジェクトも、「一流国になるには、日本語の総合辞典が不可欠だ」という新村出の信念で動き出し、新村出の息子でフランス文学者の新村猛をはじめ、良い本をつくることを信念に持つ歌人で、編集経験のある市村宏、京大卒の編集者で上司とケンカしてクビになった藤井譲、就職難で辞書作りに飛びついた佐藤鏡子など、辞書作りに関しては素人の「寄せ集めチーム」が言葉集めに奔走しました。
広辞苑は何より新しい時代にどんどん生まれる言葉を取り入れていくことがモットーでしたから、メンバーは「パチンコ」や「八頭身」などの新しい言葉を見つけては大学や専門家を尋ねて、原稿を頼み、定義を探っていくことになります。
↑「パチンコ」や「八頭身」など新しい言葉の時代背景をしっかり理解して、辞書に落としていく
例えば、主任の市村宏は幼い子供がしゃべる言葉にも耳をすませ、地方から来た人の方言にも注目し、子供が幼いがゆえにリンゴのことをギンゴとしか発音できなかったときにも、大真面目に「これはどの系統の言葉だろう」と考えるほどに言葉に過敏に反応したそうです。
藤井譲は戦後大ブームとなった映画の中にも新語を必死に見つけようとし、佐藤鏡子は身の回りの暮らしに関する言葉を探していくうちに、バスや電車の「つり革」という項目が「広辞苑」に無いことに気づいて取り入れていくなど、皆、言葉を中心に生活するようになっていきます。
↑チーム全員、辞書の言葉を意識して普段の生活を送る
当時の日本は戦前戦後の人々の生活が急速に変化していた頃でしたから、言葉自体も移り変わりが激しく、例えば「警察予備隊」が「保安隊」になり、さらに「自衛隊」になり、そのたびに原稿を書き換える必要に迫られ、彼らは終わりの見えない作業に苦しむようになります。
この事業をプロデュースする役割を担っていた新村猛は、「この辞書には、20万を超える言葉を載せたい。今という時代を記録する、新しい言葉を集めてほしい」とチームを激励しながら、心身共に疲れ切った彼らに「急いでほしい」とせかすこともなく、「いいものにしたい」とだけ呟き、メンバーが言葉集めにひたすら集中できる環境を自分が雑務を引き受けることで作りあげます。
遠隔で作業をしていた新村出は、「パン」という言葉だけで、種類から原料の小麦粉製粉機まで調べ上げて6冊のノートを埋めるなど、ひとり、言葉の探究を続けて原稿を編集部に送り、「ここに私がいるよ。さぁ、辞書をつくろう」と、その信念の強さでチームを支えていました。
↑パンという言葉だけで、ノート6冊分の情報量
こうして「寄せ集めチーム」とそこから協力を求められた湯川秀樹を含む心理学、工学、考古学から経済学までの専門家50人の知識によって、20万語を編集されると、今度は出版元の岩波書店が「校正の神様」と呼ばれるベテランを筆頭とする精鋭10名を集め、合計2ヶ月以上にわたる合宿の中で、言葉の再編集と校正という仕上げを行いました。
通常、校正といえば静かにペンを走らせる音くらいしかしないものですが、広辞苑の場合は、新しい言葉の定義を巡ってすぐにメンバー間の議論が始まり、また、「ぬまず」に出てくる「づ」と「ず」の使い分けなどの日本語の曖昧な部分もいちいちこの場で話し合って決定していったため、その喧騒は「熱海夏の陣」と呼ばれるほどだったそうです。
↑良い物を作るには、すべての分野で最高の知識を集めなければならない
ついに、プロジェクト開始から20年後の1955年に広辞苑が発売されると、「社員は当分買うな」といわれ、印刷が追いつかないほどの売れ行きを記録し、その年のうちにベストセラーになりました。ノーベル文学賞を受賞した作家の川端康成は広辞苑を「生涯をともにする尊敬する友人」とみなすほど、一般の人だけではなく、教養豊かな専門人にも評価される幅広い支持を集めます。
新村出は、夢であったオックスフォード英語大辞典に負けずとも劣らない日本一の辞書をつくりあげたことが評価されて文化勲章を受賞し、作家の井上ひさしは「広辞苑」のあまりの言葉の豊富さと影響力に感銘して、以下のように述べました。
「全日本人の生涯がこの一冊の中で営まれるのだ、するとこれは日本列島さえも押し包んでしまうのか。」
↑日本列島を語りつくしてしまえるほどの一冊の辞書
かつてノーベル賞物理学者のリチャード・ファインマンは、重力に関する一流の物理学者が重力の問題をあまりに専門的に考えすぎていたため、簡単に解けるものと気付かなかったことに驚いたと述べていましたが、言葉集めの入口においても、狭く深い知識を持つ人が取り組んでしまえば、専門性のフィルターがかかってしまい、柔軟に対応できないということがあるかもしれません。
時代の流れに敏感で柔軟な思考を持つ人と、専門家による「寄せ集めチーム」の多様な感性があれば、専門性だけが突出したチームよりイノベーションに近づいていけるのではないでしょうか。
参考書籍
1. サイモン・ウィンチェスター 「博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話」 (2006年 早川書房)
2. NHK「プロジェクトX」制作班 「「父と息子 執念燃ゆ 大辞典」~30年・空前の言葉探し ―夢 遙か、決戦への秘策 プロジェクトX~挑戦者たち~」 (2012年 NHK出版)
3. リチャード P.ファインマン 「ご冗談でしょう、ファインマンさん」 (2000年 岩波書店)
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