スマートフォンが時間の隙間を埋めてくれるようになった今、わたしたちは「待つ」ことを煩わしい行為としか捉えないようになっています。
2013年にシチズンホールディングスがビジネスパーソンに対して行った「待ち時間」に対する意識調査では、全体の6割がエレベーターや赤信号を1分以上、スーパーのレジは3分以上待ち続けるとイライラすると答え、スマートフォンでウェブコンテンツに繋がる時間は4人に3人が15秒以上でイライラ、携帯メールの返信は9割を超える人が1時間以内しか待てないと回答したそうです。
↑もう信号を待つことだけで、大きな苦痛を感じてしまう
また現在、株式市場の取引の多くはアルゴリズムによって行われていますが、それを効果的に稼働させるためには、超高速の光ファイバー回線が必要になるため、ニューヨークのヘッジファンドのためにプログラムを作ったダニエル・スパイヴィ氏は、2億ドル(約204億円)をかけて、従来のものよりも往復160キロ短い、シカゴ-ニューヨーク間のルートを敷設、それによって1000分の4秒の時間を短縮することに成功しました。
瞬きするにも満たないこの時間はイリノイ工科大学のベン・ヴァン・フリート教授によると、「システム・トレーディングの世界では永遠とも言えるほど長い時間」とのことです。(1)
↑0.004秒という時間があまりにも長すぎる
大阪大学の総長、そして関西大学教授を歴任した臨床哲学者、鷲田清一氏は、著書「『待つ』ということ」の中で、現代の企業活動の多くに共通して待たない姿勢が見られることを英語の単語から説明しており、
例えば、計画は「プロジェクト」、利益は「プロフィット」、見込みは「プロスペクト」、生産は「プロダクション」、前進は「プログレス」、昇進は「プロモート」ですが、どれも「前に、先に」を意味する接頭辞「プロ」が付くことを指摘し、これについて次のように述べます。
「要するに、すべてが前傾姿勢になっている。こうした前のめりの姿勢だから、じつのところ、何も待ってはいない。未来と見えるものは現在という場所で想像された未来でしかない。未来はけっして何が起こるか分からない絶対の外部なのではない。その意味で『プロ』に象徴される前のめりの姿勢は、実は〈待つ〉ことを拒む構えなのである。」(2)
↑急ぐに越したことがないというビジネスの前提が、様々な問題を作り出している
一見すると、日常生活においても、仕事においても、待つことをできるだけ省略し、テクノロジーを活用して自分が予定したことをできるだけ未来にそのまま実現させていこうとするのは理想的な形に見えますが、そうした人間の驕りは大きなしっぺ返しを引き起こします。
例えば、アルゴリズムによる超高速の株取引は、2010年5月に「フラッシュ・クラッシュ」という瞬間的な株価急落が発生、わずか10分ほどの間にダウ平均株価が9%の下げ幅を記録し、市場に大きな衝撃を与えました。
また、短期的な利益をあげることを主眼においたアメリカ型の経営手法は「カジノ型資本主義」とも呼ばれ、実体経済と離れた金融取引に重きを置くため、じっくりと産業を育て、有望な企業が育つのを待てずに、次々と淘汰へと追いやってしまいます。
また、ソフトウェアの欠陥の半分以上は納期のプレッシャーがきつすぎることによって発生しているとのことですが、あまりにスピードを重視することの弊害は誰もが認めざるを得ません。
↑人間自身がしっかりとバランスを取らないとコンピュータはどんどんスピードを加速させる
アルゴリズムによる超高速取引が一般的になろうとも、それとはまったく逆の手法を取る投資家、それが「オマハの賢人」と呼ばれるウォーレン・バフェット氏です。
彼は長期投資を基本スタイルとすることで知られ、「株式投資の極意とはいい銘柄を見つけて、いいタイミングで買い、いい会社である限りそれを持ち続けること。これに尽きます」という彼の言葉にも示されるように、急騰する株を追うようなことは決してしません。
彼は自らの投資スタイルを次のような例えで説明します。
「ピッチャーの投げる球をすべて振る必要はない。重要なことは自分が好きな球が来るまで待つことだ。しかし、多くのファンドマネージャーにはそれができない。なぜなら、いつまでも好きな球が来るまで待っていたら、ファンからヤジが飛んでくるからだ。」
↑ビジネスに見送り三振はない、とにかく待て
確かに仕事においても、家庭においても、周りが高速で動いている中で「待つ」ことを実践することは、「ヤジ」を飛ばされることも多く、容易なことではありません。
しかし、「スタンド・バイ・ミー」や「グリーン・マイル」などの作品で知られるアメリカの作家、スティーブン・キング氏も「待つ」ことを自分の執筆スタイルに取り入れていて、初稿を仕上げた後、それをすぐに校正したり、他の人に見せたりするのではなく、まずは原稿を6週間引き出しの中に入れて、熟成、発酵させると言います。
自分の原稿には思い入れや感情があるため、すぐに校正に入ってしまうと穴や矛盾が見えづらいものですが、一定の時間を置いてみることによって、他人の原稿を読むような感覚になり、他人の原稿であれば、客観的に自分の作品を再発見でき、校正するのも容易になるそうです。(3)
↑待って、醗酵させることで、また別の味が出てくる
子どもが将来の夢を持ち、数年先、数十年先のキャリアを小さい時からプランニングし、それが具体的であればあるほど良いと言われることもありますが、ビジネスコンサルタントの山口周氏が指摘する1992年の文系大学生人気就職ランキングの上位50社のうち、3分の1にあたる16社が今は存在していないという事実を考慮するときに、キャリア形成に関して先を焦りすぎて「待つ」ことをせず、未来を内部に取り込もうとする姿勢がどれだけ当てになるのかと疑問を感じざるを得ません。(4)
太宰治の「走れメロス」は、太宰治が熱海の旅館で宿代や飲み代が払いきれなくなった際に、友人の檀一雄を人質として宿に残して、東京の井伏鱒二のところに借金をしにいった経験が創作の発端だと言われていて、何日待っても戻ってこない太宰治にしびれを切らした檀一雄は、怒りを抑えながら「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」と言ったそうですが、現代のようにスマートフォンやメールがなかった時代は、「待つ」という行為は日常的なことであり、待つことから生まれる期待や不安から多くの文芸作品が生まれています。
↑「待つ」ことが日常だった時代、それを題材にして多くの文学が生まれた
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあるように、自分が今すべきことに100パーセントの力を注ぎ、時が満ちるのを期待して「待つ」ことを学びとれば、詰まったスケジュールに追い回されたり、人や物事が自分の思い通りにならないからとすぐにイライラしたり、惑わされたりすることは減り、本当に自分が欲しいものについて考え、そのチャンスがめぐってきたときに見逃さずに掴めるはずです。
陶工は土をこね、作品を作り上げ、うわぐすりをかけますが、それを窯に入れた後は、それが焼きあがるまでひたすら待ちます。陶器は陶工の手を離れるものの、窯の火の中で織りなされる化学反応により、自分が想像もしなかったような作品に仕上がることに期待を膨らませるように、私たちも未来を無理にたぐり寄せることをあきらめ、自分の届かない外部に戻した時に、未来が自分の期待した以上の美しさを持って現れ出ることを楽しみにできるのではないでしょうか。
(1)クリストファー・スタイナー『アルゴリズムが世界を支配する』(角川書店、2013年)Kindle版2473
(2)鷲田清一『「待つ」ということ』(角川書店、2006年)Kindle版152
(3)スティーブン・キング『書くことについて』(小学館文庫、2013年)p285
(4)山口周『天職は寝て待て~新しい就職、就活、キャリア論』(2012年、光文社新書)Kindle
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