村上春樹の短編「ハナレイ・ベイ」に、息子をサメに襲われて亡くした女性が若いサーファーに向かって、「女の子とうまくやる3つの方法」を語るシーンがあり、
その1つに「できるだけおいしいものを食べさせること」とあるように、女性にとって”美味しい”という体験は、時に弱点にもなるほど、大きな影響力を持つもののようです。
美味しいものに出会う場を与えるグルメ系サイトも、女性がよく使っているサイトの上位に入りますが、一般的にグルメ系サイトは、ユーザーの本音が出すぎれば飲食店が味方につかず、サイトが運営できないなど、「客と飲食店の利害が対立する」という前提でサービスが組み立てられており、サイト上位に表示されるお店の料理をおいしいと感じる体験ができるとは限らないようです。
↑グルメ系サイトは「客と飲食店の利害が対立する」前提で作られる
2013年に飲食店向け顧客台帳・予約システムを手掛ける「トレタ」を立ち上げた中村仁さんも、サイトのレビューなんて当てにならないとし、新規顧客をクーポンで集めるような来店施策に偏ったITサービスは不健康だとして、次のように話しています。
「新規偏重は焼畑農業。なかなか経営も安定しないし、営業の質も上がっていかない。これではお店は疲弊します。」
飲食店というのは店を出してから育つまでに時間がかかるもので、中村さんも「Webサービスみたいにリリースして、速いサイクルでイテレーションを回してどんどん改善するということはできません」と述べています。
新規の客が来店しても、「美味しい」と心が満たされるようなサービスではないため、顧客が定着せず、同じ場所でどんどんお店が入れ替わるような状況を促してしまっている従来型のサービスでは飲食店は育たず、「美味しい」という体験ができる確率が低くなるのは否めないでしょう。
↑飲食店が育つには時間がかかる
東京恵比寿の寿司店「鮨 竹半 若槻」では、トレタを使って、ITサービスを新規顧客の開拓ではなく、「おもてなしの向上」のために使ったところ、予想よりも2、3年早く、月収が過去最高の1,000万円を突破したといいます。
顧客について、「気づいたこと」「感じたこと」を従業員が自由にトレタに入力して共有することで、味の好みはもちろん、お酒の好み、どんなネタを食べたか、利き腕はどちらか、など多岐にわたる要素から、来店が2回目以降の顧客に対して、よりよい体験ができるサービスを提供できるようになったと、店長の若槻さんは考えています。
「『以前もお見えになりましたよね』『そのときは○○を召し上がりましたが、今回はどうしましょう』とちょっとしたお声がけができます。その一言があるだけ で、お客様の顔色は変わりますし、会話も生まれていきます。そうした細やかなおもてなしが、自分が接客してお顔や好みを覚えているお客様だけではなく、全従業員がすべてのお客様に対してできるのはやはり大きなことだと思います。」
客集めではなく、飲食店と顧客がしっかりとつながるようなシステムがあれば、食の体験は豊かになり、お互いの満足度が上がります。そして、これは外食業界に限らないようで、レシピ共有サイト「クックパッド」は、家庭で料理を作っている女性たちにもそのような満足度を感じられるサービスの提供にこだわっています。
↑最新技術は新規顧客獲得のためではなく、既存顧客の満足度を上げるために使う
クックパッドはあっという間に欲しいレシピが検索できるというのが強みで、30代の女性の8割が日常的に使い、月間ユーザー6,000万人を超えているといいますが、実は、「クックパッドにレシピを投稿するのが楽しい」ということこそが、クックパッドの生命線となっています。
クックパッドは、2011年にそのレシピ数100万品、2015年3月には200万品を突破し、レシピを投稿する楽しさの一つに、「つくレポ」(つくりましたフォトレポート)という、投稿されたレシピで実際に料理を作ったユーザーが、レシピ投稿者に感想をコメントすることができる仕組みがあります。
これによって、これまでであれば多くの女性の日常の一部であった、料理を作るという行為を、「『おいしい』と言ってもらえる」、「誰かが作った料理を褒めてくれる」という体験に結び付けられるようになりました。
↑Webサービスは、何がユーザーを満足させるのか、もっと深いところまで考える必要がある
クックパッド創業者、取締役である佐野陽光氏は、心からのスカッとした笑顔をどれだけ増やせるかを何ヶ月も考えてたどり着いたのが「食べること」だったといい、クックパッドに投稿をしている女性たちは、「美味しい」の一言によって非日常を得るような楽しさを感じ、積極的にITを活用するとして次のように述べます。
「女性って、保守的じゃないんです。新しいことでも、いいと思えばどんどん取り入れる。それは男性よりもはるかに大胆です。得られるものがはっきりしていれば、間にある面倒なものや障害も、ほとんど気にすることがない。クックパッドにレシピを投稿することが楽しい、となれば、よく分からないインターネットの接続だってやってしまうんですから。」(1)
↑何ヶ月も考えてたどり着いたのが「食べること」
材料名から分量、手順まで入力する内容が複雑なレシピ投稿は、8割がスマートフォンからなされていて、それが可能なのは、クックパッドが「小説を書くみたいにレシピが作れる」ように設計されているからです。
たとえば同じ材料でも表記がレシピによって違ったり、一見サイトとしては統一感がないように見えても、投稿者が載せたいようにレシピを載せることができ、投稿者の思いが伝わるような作りになっています。
レシピにとって重要な写真においては、ユーザーがどんな写真を投稿しても、料理が美味しそうに見える、しかもリアリティが伝わるギリギリの大きさを分析し、サーバーの側で圧縮、リサイズ、修正、そしてトリミングまでされるため、投稿者は自分が期待していた以上の仕上がりになるようになっているそうです。
↑自己表現の仕方をIT技術で最大化させる
レシピがただ集まればよいというような、いわゆる「新規獲得」の手法ではなく、レシピを使う側のユーザーのクリックが、コミュニケーションであると考え、レシピ検索の流れや、サイト内でどのページに「立ち寄った」のか、その足跡を「ウォークスルー」というプログラムで可視化して分析し、ビュー数が少なくても満足度が高そうなレシピは、メルマガにして配信するなど、よいレシピの投稿者が評価され、「美味しい」を通じた喜びが積み重なるようなシステムになっています。
↑料理を作ることも、食べることも、そして共有することもすべてはコミュニケーション
家庭に入っている女性が、料理を通じて社会から評価されるチャンスを欲していることに気づいたクックパッドは、さらに、2012年10月、料理教室情報検索サービス「クックステップ」をリリースし、料理家ではなくても料理好きな女性が、料理を仕事にできる場を開拓しようとしています。
クックステップに登録されている料理教室は、子連れOKだったり、単発で通えるものが多く、クックステップ事業部の田中ひろ美さんは、「ちょっと母親に聞くような感覚で、教室に行ってほしい」と述べているように、こういったサービスによって、女性が「美味しい」という楽しさをさらに追求することが可能になろうとしています。
↑Webで人々が繋がり、それが現実の世界にどんどん落ちてくる
ダニエル・ピンクは「モチベーション3.0」の中で、トム・ソーヤが頼まれたペンキ塗りの仕事を「つまらない仕事」から「遊び」に転換することに成功した例を引き合いに出し、インセンティブを過度に重視しないほうがよいと説きました。
おそらくITサービスも同じで、割引やポイントなどを提供するよりも、「美味しい」というような、人の根本的な欲求やそこに関係する人たちのつながりを支えるのに役立つもののほうが、それを用いる人が、サービスによって疲弊することなく、自分からビジネスを発展させる循環を作ることができるのではないでしょうか。
関係を長続きさせることを大事に考えたサービスであれば、その利用者は平凡やマンネリから簡単に脱出し、恋人関係が長続きするように、人間的に健康な毎日を維持することができるようになるのかもしれません。
参考書籍)
1. 上坂徹『600万人の女性に支持される「クックパッド」というビジネス』(角川SSC新書、2009年)Kindle p1190
2. 村上春樹『東京奇譚集』(新潮文庫、2007年)
3. ダニエル・ピンク『モチベーション3.0』(講談社+α文庫、2015年)
4. 中村耕史『「少し先の未来」を予測する クックパッドのデータ分析力』(日本実業出版社、2015年)
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